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もうひとつの日光
02年 4月 | 雲龍渓谷 (雲龍瀑) |
「冬の奥日光」シリーズ4回目。 雲龍渓谷は女鋒山(にょほうさん)の火口跡から、アカナ沢と七滝沢を落としY字峡で合流し稲荷川と名前を変え、神橋付近で大谷川に注いでいる。このY字峡から続く下流の渓谷が雲龍渓谷と呼ばれている。 雲龍瀑は落差160m幅7m 3段の滝で、冬には全面氷結し、アイスクライミングのメッカとして知られている。 |
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02年 3月 | 湯ノ湖 | 「冬の奥日光」シリーズ3回目。 湯ノ湖は、三岳が噴火したときに流れ出た溶岩流により、湯川がせき止められ形成された。標高1478mにできた、せき止め湖である。周囲は3kmあり、約1時間で一周できる。 湖の周囲には、ノリウツギ・オオカメノキ・ウダイカンバなどの広葉樹と、コメツガ・ウラジロモミなどの針葉樹の原生林があり、変化に富んだ手つかずの自然を満喫できる。 また、周辺には野鳥も多く、冬は湖面に、マガモ・キンクロハジロ・ミコアイサ・ヒドリガモなどの姿が見られる。 |
冬は湖面の殆んどが氷結する。 |
02年 2月 | 湯滝 | 「冬の奥日光」シリーズ2回目。 湯ノ湖の南端にある滝で、湯川をせき止めて湯ノ湖を作った三岳溶岩流の岩壁を湖水が流れ落ちる。幅は最大で25メートル。滝壺に下りられ、観瀑台から迫力のある姿を眺められる。 |
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02年 1月 | 戦場ヶ原 | 今回から4回にわたり、「冬の奥日光」シリーズを紹介します。 今回は知る人ぞ知る「水墨画」の世界のような「冬の奥日光・戦場ヶ原」を紹介します。 戦場ヶ原の名前は神話の世界の「戦場」だったことに由来する。 《二荒山(男体山)の神と赤城山の神との間に争いがおこった。旗色の良くない二荒山の神は孫の弓の名人の猿丸に助勢を頼んだ。猿丸が戦地に赴くと、二荒山の神の化身ヘビの大群と、赤城山の神の化身ムカデの大群が戦っていた。 ムカデ軍は2本の角を持つ大ムカデが戦の指揮をとっていた。これぞ敵の大将とばかり、猿丸はその左目を狙って矢を放つと、見事に的中。敵は撤退し二荒山の勝利に終わった。》 このような伝説の戦場ヶ原は、標高1400メートルの高地に広がる400ヘクタールの湿原である。 春の遅い戦場ヶ原では例年6〜8月にかけて高山植物の花を楽しめる。また、野鳥の宝庫としても有名である。 |
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01年12月 | 四本竜寺 三重塔 観音堂 | 三重塔・観音堂とも重要文化財に指定されている。 大谷川を渡った勝道上人が、初めて草庵を結んだ日光発祥の地である。現在は三重塔、観音堂などが建っている。四本竜寺の名前の由来は紫雲立寺といわれ、勝道上人が礼拝のときに、今も残る紫雲石から紫の四雲(青竜「東」、朱雀「南」、白虎「西」、玄武「北」)がたなびいたと伝えられている。 場所は11月に紹介した「本宮神社」のすぐ裏手にある。 |
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01年11月 | 本宮神社 | 祭神は大国主命の御子神の味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)である。 勝道上人が日光に神霊を求めて、延暦9(790)年に初めて小さな祠を建てた、二荒山神社発祥の地といえる。 本殿は三間社流造りで銅瓦葺である。 全体的に簡素なたたずまいで、本宮の名にふさわしい雰囲気である。 また、境内には鐘楼の跡があり神仏混合時代の名残が見られる。 駐車場はなく、近く美術館の駐車場を利用すると良い。 |
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01年10月 | 霧降ノ滝 | 華厳ノ滝、裏見ノ滝とともに日光3名瀑の1つに数えられている。 滝は上下2段になっており、上段が25m、下段が26m、高さは75mある。 滝の正面に観瀑台がある。以前は滝壺まで行けたが、現在は不可である。 紅葉が素晴らしく、例年10月下旬が見頃である。 |
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01年 9月 | イタリア大使別荘記念公園 | 明治中頃から昭和初期にかけての中禅寺湖畔は、各国の大使館をはじめ多くの外国人別荘が建てられ、国際避暑地として発展した。この建物は、昭和3年にイタリア大使館の別荘として建てられ、平成9年まで歴代の大使が使用していた。 館内からの眺めは素晴らしく、ゆったりとした時間を過ごした避暑生活を彷彿とさせる。 ※一般車両通行止め ※歌ヶ浜駐車場(無料)より徒歩15分 開園期間 4月1日〜11月30日 開園時間 午前9時〜午後4時 休館日 月曜日(祝日の場合は翌日) 夏休み期間中は無休 入館料 無料(維持管理寄付金100円程度) |
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01年 8月 | 小杉放菴記念日光美術館 | 小杉放菴記念日光美術館では「自然へのいつくしみ」をコンセプトに、日光市名誉市民である画家・小杉放菴の画業をご紹介しながら、季節に合わせ、さまざまなテーマによる企画展や、コンサートや朗読会などのイベントも開催している。 落ち着いた雰囲気で好評の館内の喫茶室カフェアン・レーヴのみのご利用もできる。 開館時間 09:30〜17:00(入館は16:30まで) 休館日 毎週月曜日(祝日・振替休日のときは開館し、その翌日を休館) 展示替期間中、および館内メンテナンス期間中 入館料 一般 700円/大高生 500円/中小生 300円 駐車料金 普通車 500円/自動二輪 150円 ※美術館入館者と喫茶室の利用者は、1時間前後であれば無料になる。 日光美術館HPへ |
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01年 7月 | 滝尾神社 | 「滝尾神社シリーズ」最終回 祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)の妃神・田心姫命(たごりひめのみこと)である。弘仁11(820)年、弘法大師が滝尾の霊区をひらき、女峰山を拝して田心姫命をまつった社で、女体中宮とたたえられている。 重要文化財指定。 |
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01年 6月 | 子種石 | 「滝尾神社シリーズ」4回目。 天狗沢の対岸に、石柵に囲まれた巨石がある。 子供が授かるように、安産祈願をすると、霊験があるとの信仰が厚い。 |
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01年 5月 | 酒の泉 | 「滝尾神社シリーズ」3回目。 境内の天狗沢沿いに、小さな池があり、清水が湧いている。弘法大師が、この水を汲んで、神に捧げたといい、古くから滝尾霊水「酒の泉」と呼ばれている。 この水を元水に酒を造ると、良い酒が出来るとして、栃木県内醸造家が、酒泉講を結成していて、崇敬が厚い。毎年10月に祈醸祭をして、元水を持ち帰り、5月に新酒を奉納する報醸祭をしている。 現在は二荒山神社、新苑で行われている。 |
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01年 4月 | 縁結びの笹 | 「滝尾神社シリーズ」2回目。 唐門の前、一対の石棚に囲まれた、縁結びの笹がある。 片手の親指と小指だけで葉が結べれば、結婚したい相手と結ばれるという信仰がある。 しかし、近年笹が痛んできているため、結ばずに願をかけるか、結んでも元に戻すようになっている。 |
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01年 3月 | 運試しの鳥居 | 今月より数回にわたり、「滝尾神社」シリーズを紹介します。 滝尾神社参道楼門前にある石の鳥居。 額束の真中に丸い穴があり、この穴に小石を三つ投げて、うまく通ると、願い事がかなうという。 元禄二年(1689年)徳川三代将軍家光の家臣、梶定良の奉納。 |
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01年 2月 | 慈眼堂 | 輪王寺大猷院のところにある法華堂と常行堂の間を入り、延命坂を登ると慈眼堂がある。 慈眼堂は、天海大僧正が眠るところである。 拝殿・墓所・天海蔵(文庫)・阿弥陀堂・鐘 楼の総称として、こう呼ばれている。「慈眼」とは、天海大僧正の大師号である慈眼大師からとられたものである。 天海大僧正は、家康・秀忠・家光公の3代の将軍に仕えた。日光山第53世貫主をつとめ、 日光に東照大権現をおまつりして一時衰えた日光山を建て直した大きな功績の持ち主。東照宮の傍らにまつられている。 108歳で亡くなった天海大僧正の命日にあたる10月2日には、毎年、拝殿で大がかりな法要(長講会が営まれる。そのときの御斎食には、天海大僧正の好物だった納豆汁が供せられる。 拝殿は一重入母屋造りといわれる建物で、前後に扉がついているのが特徴。墓所を守るようにたたずんでいる。 |
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01年 1月 | 日光田母沢御用邸記念公園 | 旧日光田母沢御用邸は、大正天皇のご静養のため明治32年に造営されました。その後、大正天皇のご即位に伴い、大正7年から同9年にかけて大規模な増改築が行われ、現在の姿となりました。また、この建物のうち主要な三階建の部分は、旧赤坂離宮から移築されました。 この建物は明治・大正期に造営された御用邸の中でも最大規模を誇る木造建築で、建築面積約4,500u(1,360坪)部屋数は106室あります。 建築洋式としても、数奇屋風書院、宮廷風、和洋折衷洋式と様々な意匠を見ることができます。江戸期、明治期、大正期と三時代に渡る建物が調和して御用邸の機能を果しており、歴史的、文化的に極めて貴重な建築として位置づけられています。 開園時間 9:00〜16:30 休園日 毎週火曜日(ただし、祝 日の場合は翌日) 12月29日〜1月3日 入園料 大人/500円 子供/250円 駐車料金 普通車/200円(2時間) |
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00年12月 | 杉並木 | 日光杉並木は、日光の玄関口にあり、幹線道路として現在でも利用されています。また、日本で唯一、国の天然記念物・特別史跡に二重指定されています。 日光街道・例弊使街道・会津西街道等、その総延長は約40qにもなっています。 この並木は徳川家に仕えた松平正綱が寛永2年(1625年)に着手し、慶安元年(1648年)、家康の33回忌に寄進しました。 現在は車の排気ガスや老齢化の影響で年々減少し現在は約13,000本が残っています。 また栃木県では並木保護のため「杉並木オーナー制度」を始め、その運用益で保護事業を行っています。 1本1千万円です。1本いかがでしょうか? |
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00年11月 | HC日光アイスバックス | HC日光アイスバックスは旧古河電工アイスホッケー部が廃部されたのを受け、1999年より活動している日本初の市民クラブ形式によるアイスホッケーチームです。 「氷上の格闘技」といわれる迫力あるプレーをぜひ生でご覧下さい。 自他共に認める?日本一熱いサポーターにも圧倒されます。 会場は「霧降アイスアリーナ」です。 試合日程 |
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00年10月 | 裏見滝 | 名前のとおり、「裏」から見られる滝である。 日光三名瀑の一つで、昔から修験僧の行場であった。一時期はなくなってしまったが、現在は興雲律院の住職によって、5月と10月に営まれている。駐車場より徒歩5分。 高さ約20m、幅3m。 秋には紅葉の隠れた穴場である。 滝の裏側に行くのには水量の少ない時のみで、また、ガレ場のため危険も伴う。 |
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00年9月 | 真光教会 |
大正3年に建てられた、日光初の洋式建築物である。 宣教師でもあった建築家、J・M・ガーディナーが設計した。外壁には安山岩、内壁は大谷石、床はカナダ松、屋根は天然スレートを使用している。 ガーディナーの遺言により彼とその家族の遺骨が教会の床下で永遠の眠りについている。 この重厚な教会での結婚式はとても雰囲気が良い。 |
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00年8月 | 観音堂 (香車堂) |
写真のとおり、たくさんの将棋の駒(香車のみ)が並べられている。 揚柳観音を祀る安産信仰の社で「香車堂」とも呼ばれる。 香車の駒を1つ借りて帰り、神棚に祀れば、直進しかできない香車にちなんで、安産だといわれる。 出産後に、新調の駒と共に返却する。 現在でもこの信仰は行われている。 |
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00年7月 | 並び地蔵 (化地蔵) |
天海大僧正の徒弟たちが「過去万霊・自己菩提」のために作ったもので、約100体ある。 先頭に親地蔵二体が置かれたが、明治35年の大洪水で親地蔵二体と他の幾つかの地蔵が流された。 親地蔵の一体の頭だけが後に川原で見つかり、現在は浄光寺境内に安置してある。 地蔵の数は、数えるたびに違うので「化地蔵」とも呼ばれる。 |