2003年の1月、韓国に行き板門店(panmunjom)を見学した。
 
 実は、以前から行ってみたい所であったが、機会に恵まれず今回職場の旅行で韓国を訪れることになり、皆とは別行動で行ってみることに・・・ところが今回利用した某旅行会社に問い合わせたところ「土日祝日はツアーを実施していないので金土日と行く行程では行くことができない」との回答があった。あきらめきれない私はネットで「SEOULNAVI.COM」というサイトに辿り着き土曜日なら1社のみ最近ツアーを実施しているとの情報を得て、早速「SEOULNAVI」を通して予約をし行けることになった。しかも、日本の某旅行会社を通すとツアー代金が10,000円だが前記サイトでは7,000円であった。まあ、ツアー実施会社に直接申し込めば約6,500円なのだが、韓国までの電話料金及び日本語が通じるか?との不安があり、約500円程度の料金差は充分納得のいく手数料だと思った。しかし、某旅行会社さん10,000円は高いでしょう!

板門店は1953年休戦協定が調印されたところで、ソウルの北方約60km、北緯38度線南方5kmの地点にあり、軍事境界線(休戦ライン)を中心に南北各2kmにわたって設けられている非武装地帯(DMZ)の真中にあたる。
また、非武装地帯の中にある唯一の南と北の対話の場所であり、東西冷戦の緊張や対立によって半世紀間朝鮮半島分断の歴史を証言している所である。
 南北対立の象徴である板門店だから、そこを見学するというのは厳しい条件の下に政府の許可を取ってとか考えるのが普通であると思っていたが、「板門店ツアー」というのは、なんと外国人向け(国籍等の制限あり)の観光バスツアーになっている。但し、韓国の一般国民はダメとか、そこに乗り入れる観光会社は政府から許可された旅行会社数社だけとか、服装についてもジーンズ、半ズボン、Tシャツ、ミニスカート等々はダメとか規制も多い。
 
 ソウルのロッテホテルから、板門店ツアー専用のバスに乗り、北に向かう。市街をはずれると、ハン川(漢江)から南北を分けて流れるイムジン川(臨津江)に沿って北上する。道路と河川敷の境には鉄条網の鉄柵が張り巡らされ、等間隔に置かれた監視塔が南北に対峙するこの国の厳しい現実を否応なく感じさせる。
 
 バスは、非武装地帯に入る前の大きな橋(自由の橋)のたもとで停止させられた。警備の韓国兵と思われる国連軍兵士が、機関銃を肩から下げたまま、バスに乗り込んでくる。無表情な兵士の顔で、前の座席からパスポートを一人一人チェックしていく。機関銃を下げた兵士に身分証明書をチェックされるなんて経験は平和な日本ではあり得ないことだ。
 
 橋を渡って、荒涼とした非武装地帯に入っていく。道路の両脇の荒れ地の所々に赤い地に髑髏マークの付いた旗が下げてある。地雷原の表示である。「コエー!」と心の中で叫んだ。やがて、非武装地帯の国連軍駐屯基地であるキャンプ・ボニファスにバスは到着した。また、ここより北の部隊は有事に備えるために車両エンジンは常にけたままになっており、一分以内に戦闘態勢に入れるようになっている。
   
 基地のボーリンガー・ホールで、朝鮮戦争や休戦協定など板門店の歴史や意義の説明を受ける。この基地の名前は、1976年8月に起きたポプラ事件で、北朝鮮側に殺害されたアメリカ軍のボニファス大尉から来ているそうだ。また、この基地にあるゴルフ場は、OBを出すと地雷原に飛び込むので、「世界一危険なゴルフ場」と呼ばれるそうだ。そして、「訪問者(見学者)宣言書」なる日本語で書かれた1枚の文書が全員に配布された。板門店見学上の注意事項が様々に書いてあるのだが、その前文が凄い。
 
「・・・・。敵の行動によっては、危害を受ける又は死亡する可能性があります。・・・・・・。また、事変・事件を予期することはできませんので、国連軍、アメリカ合衆国及び大韓民国は訪問者の安全を保障することはできませんし、敵の行う行動に対し、責任を負うことはできません。」(宣言書全文はこちら


宣言書全文


「マジかよ?!」と思いながら、全員その文書に署名しゲストバッチを身に着け、護衛兵士付の国連バスに乗り換える。


(国連のゲストになります)


いよいよ北緯38度線の共同警備区域(JSA)に向かう。南北が対峙する最前線だから、戦場のような荒涼としたところとイメージしていたのだが、バスを降りたところは実にきれいに整備された公園のような場所の中心にあるガラス張りの立派な近代建築の前である。戦場にガラス張りはないだろう? 中に入ると3階分くらいの長いエスカレーターが2基付いている。ここが「自由の家(写真なし)」である。


(平和の家&護衛の装甲車&国連バス)

 この建物の隣が、展望台になっている。そこから、正面に北朝鮮のやはり立派な建物が見える。これは北朝鮮が建てた展望台「板門閣」だそうだ。建物の正面に、たった一人の兵士が直立不動で立っている。また、北朝鮮の監視所が目前にあり、こちらを監視しているようであったので、こちらも写真を撮ってみた。
    

(北朝鮮板門閣)



(北朝鮮兵士、遠目だがこちらも微動だにしない)


(北朝鮮監視所、絶対に手を振ってはいけません)

 両国の威信を示すように対峙している大きな建物に挟まれて、鮮やかな青ペンキで塗られた小さな平屋建ての建物が、停戦会議場である。

 


 この会議場の建物に半身を隠して、北朝鮮側に向かって微動だにしない兵士が警備している。
    


 この3棟ある青い建物の真ん中が、停戦会議を行った中央会議場で、この部屋の真ん中に大きな会議テーブルがあり、このテーブルを二分するようにマイクのコードが張られているのだが、これがすなわち北緯38度の休戦ラインを現すのだそうだ。このマイクは常にスイッチが入っており、常にソウルとピョンヤンに生放送?されているそうだ。現在も、定期的に、韓国と北朝鮮との軍事代表者が会談する。この部屋の会議テーブルが、韓国と北朝鮮が直接顔を合わせて話し合うきわめて重要な地点である。この部屋の中でのみ、観光客もテーブルの向こう側に行くことで、休戦ラインを超えることができる。この室内にも兵士が微動だにせず、立っている。恐る恐る隣りに立って記念写真場を撮ってしまった(恥ずかしいので掲載しません)
    

(北朝鮮側で撮ってみました)


(まだ若そうですね。中にいる間まったく微動だにしませんでした)
 
 会議場の外にはコンクリートの境界線があり、一歩でも踏み越えると亡命?になるらしい。

 
(砂利側が韓国・土側が北朝鮮)

 次に北側が見える展望台に移動する。ただ、この日は霧がかかり良く見えなかった。ここでは北側の「平和の村」がかすかに見える。この村は北朝鮮が韓国に対して北朝鮮を宣伝するために作られた村であり、そこには偵察兵士以外に一般人は1人も住んでいないと言われており、同じ時間に電気がついたり、消えたりしているらしい。また、北の村から1.8kmしか離れていない韓国側にも「自由の村」があり、 そこは戦争の以前から住んでいた住民の村で、現在230人ぐらいが農業を営みながら住んでいる。村民には納税や兵役の免除等あるらしいが、生活の制限を受け農作業にも兵士の護衛付だそうで「不自由」な生活を営んでいる。また、 映画「JSA」でお馴染みの「帰らざる橋」が見えた。この橋は1953年の休戦以後この橋で捕虜交換が行われた。捕虜交換の時一旦南か北かの方向を決めたら2度とこの橋を渡って帰ることができないことからこの名前がつけられた。


(北朝鮮「平和の村」霧で良く見えないが畑らしきものも・・・)


(「帰らざる橋」映画「JSA」でお馴染みですね) 

 会議場の見学が終わって、また、バスに乗って、キャンプ・ボニファスに戻った。そこにはお土産屋があって、様々な「板門店グッズ」が売られていた。中でも、驚いたのは、鉄条網の切れ端が、A4サイズくらいの額に入れてある飾り物である。南北を隔てる休戦ラインに張られていた鉄条網だそうだ。


(シリアルsり、思わず購入)

 とにかく、国連の言う敵も不測の行動を起こすことなく、無事に非武装地帯から帰ることができた。

 今回念願であった板門店ツアーに参加し朝鮮戦争、米ソ対立、冷戦、民族分断、イデオロギー対立など、20世紀後半を代表する世界の悲劇を目の当たりにし、日本海を挟んだ隣国での実情を深く考えさせられた。遠くない将来に南北の統一が一日も早くなされ、板門店を遺跡として観光できる日がくることを切に願うばかりである。

 これから行く方へのアドバイスとして、最低限の知識と映画「JSA」を見てから行くことをお勧めします。